きらきらのたまご

私の私による私のための休憩室

私が働く理由について

私は恵まれていると思う。現在大学生の私は、バイトなんかしなくても仕送りで生活することが十分可能だ。それでもなぜ働くことに執着してしまうのか、ふと考えてしまうことがある。


仕送りするから勉強に集中してほしいという親心はわかる。けれど、私の自己承認欲求は大学で満たされることはなかった。そもそも大学があまり好きになれなかったのだ。真面目でもなければ不真面目すぎることもない私は、上手く大勢の学生がいる空間に溶け込むことができなかった。サークルに入って何らかの活動をしている自分に安心感を求めたこともあったが、私は協調性に欠陥があるのか息苦しくなってしまい長続きしなかった。「あなたはここにいてもいいんだよ」では満足できず、「あなたはここにいてほしい」を求め続けたけれど、私じゃなきゃダメなことなんて実際ないということもわかっていたからその欲求が満たされることはなかった。特に大勢の同世代がいる大学という場所では。


そこで私は、働くことに価値を見出していった。誰にも必要とされず寂しかったのだろうか。今までのバイトの職種が全部接客業なのもそういうことなのかもしれない。もしも私に社会性が足りなかったら、自分の存在を認められたいと思っても外に出ていくことができず、自分自身が自分の存在を認めることもできずで暗闇の中で今ももがいていただろう。
実際バイトが許されなかった浪人時代はそういう状態だったし、そこから抜け出せる時が来る気もしなかった。部屋に閉じこもり、自分の存在がいかに馬鹿馬鹿しくて取るに足りないか、ということばかり考えては消えたいと洩らしていた。そういう人間の周りには似たような人間が不思議と集まってしまうもので、浪人時代はリストカットをしまくる子や、いつもは普通なのにストレスが溜まると突然暴れだす子など、精神的に不安定な人間(メンヘラと呼ぶと軽くなってしまう気がするのでその呼び方はとりあえず避ける)と一緒にいることが多かった時期でもある。独りは辛いし、誰かに自分のことをわかってもらいたい。そんな気持ちから一緒にいただけで、互いに慰め合ったとしても結局それぞれがより孤独になっていき、いつしか相手のことは見えなくなった。誰かにわかってもらいたいという欲求と、どうせ誰にもわかってもらえないという諦めが、人を孤独にしてしまうのだ。この時の友人関係は一時の共依存に他ならなかったと思う。案の定大学に入った途端その時の友人とは全く連絡を取らなくなった。けれど、時々彼女たちのことを思い出しては今もどこかで元気に生きていることを願っている。3年経った今も私から連絡を取らないのは、私がその時の自分に戻ってしまうのが怖いからであり、そのことを気にするあたりまだまだ弱い人間だからである。そして、もしも元気に生きていなかったら自己嫌悪で押しつぶされてしまうのが容易に想像できるからである。


話は逸れたが、精神的に不安定な人間同士が一緒にいる状態は本当に救いがないし、精神的に不安定な人間と付き合うと普通の精神状態でも飲み込まれてしまうことさえある。普通の人がその時々で頼る人や物を選択して生きているのに対し、精神的に不安定な人間は何か一つのことに異常に執着し依存することでしか生きられないのだと思う。(『普通』って何回か言ってて思うけど、『普通』ってわかりにくい尺度だ。『異常』もよくわからないけど『普通』はそれ以上にわからない。どっちもよくわからないから、『普通』は良くて『異常』は良くない感じでよくわからない同士紙一重ってことでいいと思う。)
私はおそらく今でも無意識に依存できる何かを探しているし、仕事もその候補でしかないのだと思う。それでも、人と関わる中でこうやって自分自身について少しでも冷静に考えられるようになったのは大きな進歩である。


とはいえ、ただ「お金がほしい!」というのが本音な気もする。難しく考えすぎてしまうのが私の悪い癖なのだ。


お金のためだけに働くのは私には苦しいだろうし、人のためだけに働くのも私にはきっと辛い。そのバランスが上手く取れた場所でこそ私は自分自身のために働けるのだ。お金のために、人のために、ひいては自分のために、私は働くのである。