きらきらのたまご

私の私による私のための休憩室

外見が美しい人は心まで美しかったら批判されないのか

そんなことはないと思う。

こんにちは。更新しようしようと思いつつ寝て起きてバイトしてを繰り返していたら前回から5日も経ってしまっていた。びっくり。しかも昨日ブログ書いていたら突然電源切れて全部消えてしまった。びっくり。自分の中にしか新鮮な感情を綴った文章は残っていないのだけれど、頑張って復元していきたいと思う。


昨日は妹ちゃんとだいぶ前から約束していた舞台を観に行った。私がバイト以外で昼間から活動するのは稀だし、それも赤坂なんていう家から結構離れたところにわざわざ足を運ぶなんてなかなかない。なかなかないことをするときに、私はやたらテンションが上がってしまう人間である。というわけで本当に楽しい1日だったことを先に言っておく。

観たのは『9days Queen~九日間の女王~』という堀北真希上川隆也で客を集めているような気がしないでもない舞台だ。この舞台を選んだ理由は、前に母と妹ちゃんと同じ劇場で『ロミオとジュリエット』を観たときに妹ちゃんがとても喜んでいたからである。誕生日にプレゼントもあげられなかった姉からのささやかな妹孝行だ。こんな私の妹でいてくれて本当に感謝している。そういえば、ロミジュリのときも石原さとみ佐藤健で客を集めていたような。テレビでよく見かけるような俳優が舞台に出ることで、あまり舞台に興味がない人にも生の芝居に触れる機会を与えているわけだから、それはそれでいいと思う。ただ、芝居が好きな私はちょいちょい小劇場での舞台を観に行くのだが、そこでの舞台とは少し毛色が違う。まず劇場が広いし演出にかなりお金がかかっている。まぁチケットも高いのだが。そしてマイクを使う。マイクを通した音声は生の声ではないので私はあまり好きではないけれど、広い劇場の後ろの方まで聞こえないよりはましだとは思う。結論から言うと、私は小劇場での役者の息がかかりそうな距離感だとか、ギリギリの予算で精一杯工夫された演出が好きだということである。

内容はかなり暗かった。妹ちゃんは普通に面白かったと言っていたが、私は鑑賞後何とも言えない気持ちになった。それが狙いだったのかはわからないが。まず登場人物のほとんどが幸せにならない。強いて言えばエリザベス1世が長生きできて良かったね、くらい。処刑のシーン多すぎである。前半3人くらい端折ってもよくないか。主人公が周りに翻弄されながら生き、唯一自分で決断したことが死ぬことなんて悲しすぎるわ。私なら殺される前に自殺してるわ。精一杯生きることが大切だということなのか、自分に嘘をつかず生きなさいってことなのか、今のイギリスの土台になってくれたジェーンありがとうってことなのか、堀北真希顔小さい!ってことなのか、上川隆也イケメンすぎる!ってことなのか…。時代に翻弄された少女の短くも激しい人生に心を打たれたかどうかはさておき、豪華で見ごたえがあって十分楽しめたと思う。ロジャーの立場がちょっと浮いてたような。あと、内容関係なく堀北真希上川隆也のキスシーンが見たかった(笑)


観劇後は近くの特設スケート場で初めてのスケート。壁をつたりながらなんとか1周し、2周し、全然滑れるようにならないから30分くらいで帰ろうとしていたら、救世主登場。小学生の女の子である。その子が私と妹ちゃんの方に滑ってきたとき、一瞬浅田真央かと思った。それは嘘だが、本当にすごい子だった。彼女のおかげで私たちは壁なしで滑れるようになったし、全く興味のない森田さんのお天気に映り込むこともできたし、高いお金を払ったのに30分で帰るという後悔もせずに済んだ。名前を教えてもらったので、もしも彼女が有名になったときは自慢しまくろうと思う。この子にスケート教えてもらったんだ!と。ただ、彼女はプロになりたいわけではなく医者になりたいのだと言っていた。それはそれで応援したいと思う。


というわけでとても楽しい1日だった。一番印象的だった出来事は、森田さんの横にいた女子穴、いや女子アナが綺麗だと妹ちゃんが騒ぐ隣で、近くにいた子連れのお母さんと「どうやって入社3年目でこのポジションに登りつめたのかしら」なんていう下衆な会話で盛り上がったこと。撮影終了後に子どもたちに話しかけるような一見顔も性格もいいんじゃないかと思う女子アナであったが、それでも粗を探してしまうのが人間というものである。全てを手に入れた完璧な人間など、受け入れたくはないのである。人間だもの。天は二物を与えずって言うじゃないか。あぁ、そんな言葉で慰めないでくれ。完璧に見える人間にだって、どこか欠陥があってほしい。そう願いつつも、羨望の眼差しで女子アナを見ていた私である。

酒と吐き気と私とカタルシス

ただいま1時33分。2月23日なのか2月24日なのか微妙な時間である。日付的には2月24日になってしまったが、眠って起きて日付が変わる感覚の中で生きているので私の中ではまだ2月23日なのである。そんなことはまぁどうでもいいが今日(2月23日)の話。


昨日バイト先の方々との飲み会があった。そして、予想外でもないけれど女の子が1人潰れた。私の経験上、潰れた女子は近くに他の女子がいようとも98%男子にしがみつくのである。ほとんど潰れたことのない私は、そのなかの100%が計算で、本当はそこまで酔ってないだろ!と思っていた。しかしその子はそういうことを計算でするタイプではなかったのだ。潰れたと聞いてカラオケ内を捜索すると案の定トイレでへたりこんでいた。彼女に近づくと、その横には彼女を抱きかかえる男子の姿が!そしてその男子は、まぎれもなくかつて私が恋心を抱いていた彼だったのである。ちなみに、彼には大分前に告白して振られている。あぁ、書いてるだけで悲しい過去が蘇ってくる。うぅ。彼はなんて優しい人なんだろう!という感動と、潰れた女子への羨ましさ、もし私が潰れたとしても彼は助けてくれないだろうという悲しみからくる彼女への嫌悪感が一瞬で頭の中に広がり、入り乱れて汚いマーブル模様のシミになった。ような気がした。そんな自分がすごく小さく見え、だから私はモテないのだと自責し、それを認めたくないという本能からか、結果的にその後率先して介抱することになったのである。

彼女を家に送った帰り道、私は献血ルームに向かった。朝10時。久しぶりの献血である。あぁカタルシス!17回目の献血。相変わらず血管が細くて看護師さんを困らせる私である。無事血管に針が刺さると、どんよりと赤い血液とともに私の中を渦巻いていた醜い感情も外に流れだしていくような気がした。あぁカタルシス。気がつくと眠ってしまっていた。献血ルームのベッドは意外に寝心地が良い。目が覚めたらモテ体質になってたりしないだろうか。献血にそんな効果はないか。そうこうしている間に、成分献血は終了した。目が覚めた私はモテ体質に…あれ?なんか気持ち悪い。そして私は吐いた。吐く直前に看護師さんに言って袋をもらっていたから、献血ルームの清潔な床を汚さずには済んだ。よかった。排出したはずの醜い感情が、血液とともに再び私の体内に戻っていった。おぉジーザス!点滴をしてもらい、献血ルームを出たときには2時を過ぎていた。せっかくバイトのない日なのに、無駄にしてしまった感満載である。血液が足りなくて困っている人に血もあげられなかったし。献血ルームのスタッフさんにも迷惑をかけてしまったし。あぁごめんなさい。「献血への協力をお願いします」と書かれたプラカードを持って駅前に立っていた人に、心の中で謝った。土下座した。心の中でだけど。

家に帰ってきてまた寝て、今に至る。私は本当に寝るのが好きだなぁ。10時間も寝てしまった。寝る子は育つ。身長はいらないけどおっぱいは…いらないか。全国の貧乳で悩んでいる皆さんごめんなさい。私はおっぱいには困ってません。むしろあげられなかった血液の代わりにおっぱいの脂肪を差し上げたい。あぁ本当にごめんなさい。

明日は7時には家を出なければ。都立入試の応援に行くのです。私がいてもいなくても結果に影響はおよぼさないだろうけど、それでも頑張って欲しい。だからせめて応援に行こう。…でも、起きられなかったらごめん。明日こそはカタルシス。

私を特別な存在にできるのはこの世で私だけ

ふとした思いつきでブログを始めてみる。これで何度目になるだろう…。

私は基本的に三日坊主だ。思い立ったらすぐ行動し、思い立ったらすぐやめてしまう。「思い立ったが吉日」だとしたら、毎日が吉日。


昔から有名人になるのが夢だった私は、今までいろいろなことに手を出してはすぐやめてきた。劇団に入ったときは出演することになった舞台の脚本が全く面白くなかったという理由で半年で辞め、可愛い制服で働けて、あわよくばそこからデビューしているアイドルグループに入れるんじゃないかという浅はかな思いつきで始めたメイド喫茶のバイトは研修期間の時給が850円なのに思いのほかキツすぎて2日で辞め、最近では、地下アイドルの研究生を約1カ月で辞めた。この他にも、長続きしなかったことはものすごくたくさんある。

有名になりたかったはずなのに、努力が全くできなかったのが今までの私。ゆとり世代の悪いところだと世間で言われているものの全てを持ち合わせたハイパーゆとりだ。むしろ頑張っている他のゆとり世代の方々に申し訳ない。私みたいなやつがいるために、「これだからゆとり世代は…」って言われて嫌な思いをしている人はいっぱいいる。ごめんなさい。


どうして今ブログを始めようと思ったかというと、そんな自分を変えたいと最近強く思うから。

今までブログを始めてはやめてきたけど、今回だけは違う!
と言い切りたいところだが、これまでの積み重ねがあるのでそんなことは言えない。

ただ、思うのだ。
確かに私は、何かを始めてはすぐ辞めることでたくさんの人に迷惑をかけてきたけれど、そのことでそのあともずっと困り続ける人はいないと。強いて言うならば、ずっと困り続けるのは自分自身なのだと。

何かを続けたりやり遂げたりすることができない自分を作り上げてしまった今までの自分が、これからの自分をダメにしてしまうという危機感が、今の私にはある。

だから、何かを続けてみたいと思った。そして、まずは誰にも迷惑をかけないブログがいいんじゃないかと。


私は今、どこにでもいる22歳の女子だ。きっと同じような人間は世の中に山のようにいるし、自分にしかできないことって広い世界ではおそらく何もない。

10代後半から20歳になるくらいまでにはそのことに絶望して塞ぎ込んでしまった時期もあった。自分なんていてもいなくてもいいし、むしろそれならこの世界から消えてしまいたいとさえ思っていた。
そして何故か、20歳になるまでに死ぬだろう、とも思っていた。不思議だ。何でそんなことを思っていたのか…安定剤や睡眠薬の飲みすぎで思考回路がおかしくなっていたのだろうか。

ともあれ、私は無事に(?)20歳を迎え、もうすぐ23歳になる。20歳を迎えてからはふっきれたというか、特別な何かになれなくても自分がやりたいことをやろうと考えるようになった。そう考えたところまでは間違ってなかったんじゃないかと思う。やりたいことを始めたその後が問題だったが。


どこにでもいる私を特別な存在にできるのは、私自身だけ。私は私を幸せにする義務と責任があるのだ。たとえ誰も触れない世界の果てにいたとしてもそれは変わらない。


私にしては珍しく7カ月以上続けられているバイトとともに、このブログも続けていけたらと思う。